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パーソナルコンピュータの今昔 〜ネットワーク革命〜

■1995年頃

遂にマイクロソフトがWindows95をリリースし、インターネット接続が普及し始めました。

ブラウザを使えば世界中にアクセスでき、筆者を含め多くの人が海外の誰かと文通を始めたり、xxxな画像をダウンロードするなど、世界中との情報交換が始まりました。

また、チャットサイトが数多く開設され、夜通しでチャットすることも度々ありました。

そして、気付けば世の中はすっかりPC/AT互換機だけになっていきました。

この頃はショップブランドのPCがとても安く、メーカー製のPCはまったく買いませんでした。

■1997年頃

この頃は仕事で3DCGライブラリOpenGLを使っていました。

3DCGをリアルタイムレンダリングすることが主な内容であったため、

社で販売している専用のレンダリングハードウェアを使っていました。

その金額は1000万〜数億円!

とても個人で買えるものではありません。

そもそもが軍需用のシミュレータ用3DCG発生器ですので、高額です。

SGIのOctaneやOnyxをライバルとはしていましたが、機能はイマイチでした。

SGIマシンも相等に高額でしたので、この頃いかに3DCGは高コストであったか・・・

しかし、普通のPCではまだ3DCGのレンダリング性能が低く、業務用には使えませんでした。

■1998年頃

Windowsでは、DirectXというハードウェアの性能を十分に活かしたマルチメディアライブラリが

一般的になり、性能もかなり上がっていました。

そこで、Windows上で高品位な3DCGをリアルタイムレンダリングできれば、

シミュレーションシステムの価格を下げることが出きると思い、プロトタイプを開発しました。

ただ、その時のPCは特注品。

FireGLの最高級(価格80万円ほど)のグラフィックカードを用い、プロセッサにはPentiumProを2個搭載させました。

個人のPCではないので最高性能を求めた結果、総額200万円。

これを使って、DirectXで3DCGをリアルタイムレンダリングして、簡易的なフライトシミュレーションシステムを開発しました。

遊び心から、管制用PCからの指示によって敵機を飛行させ、ホーミングミサイルで撃破できるようにしました。

また、DirectSound3Dにより臨場感のあるサラウンド音響も作ることが出来ました。

しかもBGMは映画トップガンの主題歌「Danger Zone」。

プレゼンが妙に盛り上がりました。

そんな頃、パナソニックのトラックボール搭載ノートPC「AL-N2」を購入しました。

とても使いやすいノートで、開発はこのノートで充分でした。

あのトラックボールはとても素晴らしいデバイスだと今でも思っています。

■1999年頃

ソニーが衝撃的なCMを発表しました。

ブラインドの隙間からノートPCを差し出すのです。

その名は、VAIOノート505。

超スリムでスタイリッシュなノートPCにすっかり魅了され、すぐに購入しました。

これは相当に活躍し、今でも動きます。

そして、PDAではNECのモバイルギア2を購入し、

PHPとつないでモバイルコンピューティングができるようになりました。

しかし、動作が遅く安定しないため、メールを見る程度でした。

(まだ続く)

パーソナルコンピュータの今昔 〜パソコン普及期〜

備忘録の続き

第2章

■1987年頃(続き)

ある日、毎週見ている「パソコンサンデー」(テレビ東京)で、衝撃的な映像を見たのです。

なんと、シャープの新しいパソコンの画面に移っていたのは、「ツタンカーメンの黄金のマスク」でした。

「何て美しいんだ・・・」

と呆然となりました。

小学生の頃からエジプトにハマっていた筆者は、このパソコンが欲しくてたまりませんでした。

しかも、別のデモとして、コナミの「グラディウス」まで動いていました。

アーケードゲームまで動いてしまう、強烈なX68000。

しかし、金額は35万円ほどします。

とても手に入るものではなく、諦めていました。

■1989年頃

高校の職業適性検査で、「プログラマ』が最も適した職業と出ると信じていたのに、

結果は「医者」でした。

プログラマは2番目。

ここから、迷走が始まります。

シャープの最新ポケコンE500の性能の高さに圧倒されて購入するも、

ポケコンジャーナルという雑誌のプログラムを実行させる程度で、自作しなくなっていました。

PC-8801mk2SRまでもがゲーム機としてしか利用されなくなり、情熱は冷めていました。

この頃からPDAに興味が出始め、シャープの電子システム手帳PA-8600と英語辞書ICカードを購入しました。

プログラミング以外の大抵の手帳機能は付いていたのですが、

高校生の私には英語ソフト以外は使い道がありませんでした。

■1990年頃

弟が高校入学祝いとして、なんとシャープX68000Expertをゲットしました。

これにより、超高性能なゲーム機(!)を手に入れたのです。

自作したものは、MMLと呼ばれるFM音源を制御するためのサブ言語を使って、

バンドの練習用のリズム音源を作っていた程度で、

ほとんどプログラミングしませんでした。

そして、この夏「湾岸戦争」が勃発しました。

テレビニュースでは連日、コンピュータ制御のミサイルが正確に目標物を破壊していく様を見て、

コンピュータと軍事ってものが融合すると大変なことになるんだと実感したものです。

(自己注釈:コンピュータは当初砲弾の弾道計算目的で作られたので、そもそも軍事からコンピュータは生まれています。)

筆者も軍事に興味を持っていくことになり、更に迷走します・・・

この頃、ソニー初の電子辞書「データウォークマンDD-1」を購入し、広辞苑の検索が一瞬で出来るようになりました。

■1992年頃

軍事関連では個人の努力を生かしきれないと悟り、もう一度プログラミングの勉強を再開します。

8ビットCPU「6502」について学び、遂にアセンブリ言語がまともに使えるようになりました。

ファミコンの開発なら出来るなと確信し、興味は16ビットCPU「8086」へと移りました。

エプソンのPC98互換機ラップトップパソコン、PC386NOTE(だったかな)というモノクロ8階調(あやふや)を購入し、

日々アセンブリ言語でプログラムを書きまくりました。

逆アセンブラを使ってBIOS を解析し、FDフォーマッタ、ディスクコピーなどのユーティリティを最小サイズで自作し、

640KBの3.5インチフロッピーディスク1枚で開発ができる環境を作っては学友に配っていました。

この頃にはPC-9801シリーズ及びその互換機は世の中のパソコンの相当数のシェアを誇り、王者となっていました。

■1993年頃

ついに、32ビットCPU「68000」へと到達し、長年ゲームマシンであったX68000を本格的に使い始めます。

68000では、最初はC言語から利用し始めたのですが、シャープ純正のコンパイラの最適化がいまいちであったことから、

アセンブリ言語へと移っていきました。

8086にはない広大なメモリ空間、メモリマップドI/O、高速・高機能なVRAM、音声再生機能。

X68000の素晴らしさを語るのはまた別の機会にします。

同窓生、後輩達も同じようにX68000にハマり、素晴らしいソフトを作っていきました。

■1994年頃

コンピュータ専門学校の講師として、アセンブリ言語とC言語を教えるようになります。

世の中はWindows3.1の世界となり、PC/AT互換機が普及してきました。

NECはPC98でwindowsを動かしていましたが、PC/AT互換機全盛を向かえ衰退していきます。

筆者もパーツを購入して、自作のPC/AT互換機を動かしていました。

CPU は80486DX。100MHzで動作する最新のものでした。

この頃はまだMS-DOSをベースとしたアプリケーションがほとんどでした。

メガデモというマシンスペックを最大限利用したCGデモアプリを目にし、自作するようになります。

そして、翌年パソコンの世界に革命が起きるのです。

(つづく)